躁うつ病者のサバイバルライフ

双極性障害早期退職者の病苦と不安と幸福

いまの危機感は飛躍につながるか?

 

これまでの人生で、危機感が飛躍につながった歴史がある。

 

危機感①2km泳げないと戸田(へだ)の海で溺れ死ぬ

小学校の行事に、6年生になったら伊豆の戸田の海で2km遠泳するというものがあった。褌を締めて泳ぐという、静岡の伝統のある小学校の伝統のある行事だった。この行事の存在を知った3年生の時点で、私は目をつむって3mほどしか泳げなかった。つまり、泳げなかったのである。ピンチである。本当に死ぬかもしれないと思った。

3年生で静岡に引っ越してくる前、北陸の金沢で小学校に通っていたので、学校にプールというものがなかった。水泳の授業と言えば年に一回の遠足で市民プールに行って水浴びをする程度のもの。泳げるようになるはずがなかった。

私以上に危機感を抱いたのは両親だった。嫌がる私をスイミングスクールに通わせた。私には苦痛以外の何ものでもなかった。4年生で始めた私は、ちっちゃい1、2年生と同じクラスからスタートした。バタフライで挫けてプールをズル休みしたこともあったが、年の功で上達は早かった。5年生の頃には選手育成クラスに入り、個人メドレーで大会に出場したりするようになった。結局、2kmの遠泳は楽々クリア。できなかった水泳ができるようになったことで引っ込み思案だった私は大きな自信を得、今にして思えば躁転して、勉強も頑張るようになった。中学校でずっと学業成績学年1位をキープした精神的(躁転的)基礎がこれで築かれた。

 

危機感②高校の普通科を卒業しても就職できない

県下一と謳われる高校に難なく進んだのだが、実は高校には行きたくなかった。中学校で面白い勉強はもう十分にしたつもりだったので、高校には進まず就職すると言ったのだが、周りの大人たちに丸め込まれて惰性で高校に入った。勉強する気がなかったわけだから、成績はビリになった。まあいいや、高校を出たら就職するから、なんて思っていた矢先に、「商業高校や工業高校ならまだしも、普通科を卒業しても就職なんかできないぞ」っと誰かに言われた。ピンチである。就職できなければお金を稼ぐことはできないから、飢え死にするかもしれないと思った。危機感を背景に猛勉強を始めた。毎日睡眠時間は2、3時間だった。躁転していた。行き着いた先が、2年浪人、外大中国科入学卒業、ちょうどバブル経済の恩恵も受け大手総合商社への入社だった。

 

危機感③外大の中国科卒で中国語が喋れなければ使い物にならない

入社して5年目で広州駐在の幸運が舞い込んで来た。しかし、いざ赴任してみると、お客さんが何を言っているのかさっぱり中国語がわからない。いや、自分の部下の中国人スタッフが何を言っているのかさえさっぱりわからない。業務の引き継ぎ中に前任者からは、もう中国語は諦めて英語で通せ、とまで言われた。せっかく外大の中国科を出て夢の総合商社に入って、さて中国で仕事をしろと言われた途端、中国語はできませんということなら、他に取り柄があればまた別の話だが、会社人生はほぼ絶望ということになる。ピンチである。会社で窓際族の一員として疎まれ、出世もしなければ給料を上げることもできないと思った。それから必死に遊ぶよう努力した。外国語の上達には異性と交流するのが最も有効だと先輩に指導されたのである。夜のナイトクラブ通いをし、機会があればその後の運動に至るまで、仕事で疲労した体に鞭打って遊んだ。その結果、会社にいる日本人の中では2番目に中国語が上手いと評されたこともあったし、何より現地で大きな業績を残すことができた。しかし、中国人のテンションに合わせた仕事と遊びは長期的な躁転を引き起こした。広州4年半と帰国してからも引きずった2年の躁転の先は、人生で経験したことのない酷いうつだった。

 

強烈な危機感は強烈な躁転を招きながら、時に人生を成功の高みに導いてきた。

 

いまの危機感は、健康不安と将来的金欠不安である。健康面ではうつの苦しさから逃れるべくでき得る限りの努力で体調管理を行なっている。症状がなくならないのは双極性障害が治らない病気だからである。将来的金欠不安に関しては、今ある資産をとにかくできるだけ減らさないことに躍起になっているが、労働して対価を得ることがお金を稼ぐ一番有効な方法であることを実はよく知っている。しかし体調的にこれができないから苦労しているというわけだ。資産運用やポイント、マイル稼ぎでは成功どころか生存もおぼつかない。ピンチなのだ。じゃあ、大躁転するか?躁自体に散財リスクがある上、いつか必ずドボンする。手詰まり感がここにある。

 

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先の見えない不安